凪のひととき

 

八月のあの合宿の夜を境に今年の<現象>が止まった。まるで初めから惨事なんて一切なかったように、時間は進み平穏な日常が保たれてる。夏休みが終わり二学期も始まって、季節が秋へと移ろい始めた。夏休み明けには警察やマスコミ関係者が校内に蔓延っていたが、それも数週間経つとほとぼりが冷めたように誰も寄り付かなくなった。十月上旬になると中間試験の期間に入り、午後に差し掛かる頃には試験も終わる。

帰宅途中、三神先生と未咲が眠っている霊園へと立ち寄る。霊園には人の気配がなく、風で揺れる木のざわめきだけが反響していた。線香を焚いて、私は墓標の前で両手を合わせる。

 

 

最近、夢をよく見るようになった。

あの忌まわしい記憶の数々がこと鮮明に写真のように切り取られてて出て来る。誰かの奇声や悲鳴は止まることはなく、どす黒い赤色をぶちまけたような暗闇がどこまでも広がり、顔の崩れた人が呻き声を発しながら足元を這いずり回っている。その世界に一筋の光もない。

……そんな夢にうなされて息が苦しくなって、虫が這ってるような不快感が全身に走り、夜中に目が覚めることが何度もある。暗闇の中で独り、呼吸を整える。天根のおばあちゃんには顔色がひどく悪いと心配させてしまうことも多くなった。幸い体調が悪化することはなく学校へ着く頃には顔色も回復していたが、胸にこびりつく憂鬱な感触はどこか晴れないでいた。

クラスには新たな災いも降りかかることはなく、ようやく夢想し続けた静けさと平和が訪れた。だがその平穏の実現に、理不尽に散らされた命は数知れない。決して多くは望まなかった。ただ平穏を望んだだけなのに。

私は悪夢から覚めると同時に、仄暗い感情が湧き立ち、反芻するようになっていた。

 

誰も死ぬ必要なんてなかった。<災厄>さえなければ、誰も。

<呪い>なんてなければ…。

 

 

お墓参りを済ませ自宅へ向かう道中、向かい側に遊園地が見えた。遠目で全貌ははっきりと見えないが、今日は平日ということもあってか人はまばらだった。遊園地にはひときわ目立って赤色を基盤とした観覧車がそびえ立っている。

風で乱れる横髪を押さえながら、呆然と観覧車を見つめる。

ーあの観覧車に乗ったのはいつだっただろう。未咲と二人で乗り、お互いに心残りだった秘密を共有した場所でもあり、未咲が高所から落ちそうになり寿命を何年か縮めてくれた倦怠たる場所でもある。

出来事ははっきりと覚えているのに、未咲と過ごしたあの時間がひどく遠い、それはもう何年も前で、子供の頃のように昔の事だったかと感じられる……。

 

「あの観覧車、本当に生きた心地がしなかったよね」

 

肌に冷たくまとわりつく風が止んだ時、聞こえるはずのない懐かしい彼女の声が突然、私の耳に聞こえて来た。

ー幻聴?まさか、そんな…。

声がする方へ振り返ると、いるはずのない彼女が目の前に静かに佇んでいた。

「久しぶり。鳴」

黄色のカーディガンを羽織り白のワンピースを着ていて、胸元には白のラインが入った薄い水色のリボンをしていて…私の記憶違いでなければ遊園地に遊びに行った時に未咲が着ていた格好だ。茶色の掛かった髪が明るく光る。

「ーどうして……」

あの日…一九九八年四月二十七日、月曜日に藤岡未咲は死んだ。

五月始めには退院も出来る筈だった。だが、あの<災厄>の影響が及び<四月の死者>となった。

ーでは、今ここにいる彼女は?

ーもしかしたら、と確信もないまま左目の眼帯をおもむろに外し、右手で<人形の目>ではない方の目を掌で隠す。目の前の彼女に何とも形容がつかない異様な色が漂っているのが見えた。

ー見える。<死の色>が見える…。

目の前にいる彼女は生きた人間ではない。だとすれば、きっと彼女は……。

ー彼女は<死者>……。

「なんか変なの、見える?」

戸惑いを隠せない私の心中を察したのか、彼女は静かに微笑む。

「多分ね、私、生きてないと思うんだ」

「えっ。じゃあ…」

「病院で苦しくなって目の前が真っ暗になって…多分、私死んじゃったのね。そこまではちゃんと覚えてるの」

3年3組のクラスにまじる<死者>はちゃんと心もあって、状況に整合するような記憶も持っていて、自分が<死者>であることにも気づいていない。自分が死んだことを覚えていない…だが目の前にいる彼女は、自らが命を落とした事実も覚えていると云う。

「夢、だと思う?まあ、納得いかないのも無理ないか」

考えに耽っている私につかつかと足音を立てて近づき、私の頰にすっと触れるとまじまじと見つめながら、容赦なく頰をグイグイと引っ張られた。

「ふむ?それにしてもちょっと顔が大人っぽくなった?」

「い、痛いよ」

「声もなんか前よりお姉さんぽくなった?」

「痛いって、未咲…」

「どう?夢じゃない、でしょ?」

子供のように無邪気に笑うその顔も、細長い指先も、耳をくすぐる声色も、私がよく知ってる藤岡未咲だった。だが、<人形の目>を通して見た彼女は、確かに<死の色>がまとわりついていた。

「私は死んじゃったけど、私が私だって信じてくれる?」

「わ、わかった。わかったから。もう引っ張るのやめてよ」

私の懇願が通用したのか、ようやく頰から指を離してくれた。引っ張られた頰がヒリヒリと甘く痛み、眼帯を元に戻す。

「…完全に納得したわけじゃないけど、今日だけは特別に信じることにします」

「どっちなのそれえ」

「もう夜見山市では何が起きても不思議じゃないし。もう物騒なことはこりごりだよ」

「へえぇ?物騒なこと?何があったの」

「…その死んじゃった未咲が、私に一体何の用なのかな」

ひたすら訝しげな私に対し、未咲はあっけらかんとした様子で云う。

「もしかして、私がこれから一緒に死んでくれる?とか云うとでも思った?」

「違うの」

「まっさかあ。縁起でもない。私は後ろから刺したりなんかしないよ」

クスクスと笑い、私の顔を覗き込むように見つめてくる。

「ねえ。この後予定ある?」

「特にない…けど。用事も別に」

幸いなことに中間試験も今日で全教科終了し、帰宅して試験勉強に打ち込むことはない。じゃあそれだ、と邪気のない顔で未咲は微笑む。

「少し話さない?」

ここで話すのもなんだし、と未咲は身を翻し、私の手を取る。その手は驚くほど冷たかったけれど、その感触にあぶられるように身体が温かくなるのを感じた。

「ほら、行こ」

「ちょ、ちょっと未咲。どこ行くの?」

「その辺!」

今度は私の手をグイグイと引き、足取りをどんどん早め、観覧車が遠くなっていった。狼狽してる私を構わず、未咲は上機嫌で軽やかに進んで行く。

今自分が立っている光景は夢なのか現実なのか。<死者>の藤岡未咲はどうして私の前に現れたのか、この時私の心中は半信半疑で判断もままならなかった。

だが生き生きとした彼女の表情を見てると、私もその身を委ねてしまうように、強張っていた顔がほころんでいった。

まるで未咲が生きていたあの頃に、周りの目の忍んではこっそりと二人で出逢っていたあの頃に戻ったように。

 

 

 

 

 

しばらく未咲に付き合って歩き回された結果、公園に落ち着くことにした。

未咲の家が引っ越す前、子供の頃によく二人で遊んでいた場所だった。

公園ではサッカーをして走り回ってる少年たちがいる。まだ小学生に入学して間もないような小さな身体だった。風は吹いていないが暑くも寒くもない気温で、陽が出て晴れ上がっている。絶好のスポーツ日和だろう。

サッカーのルールはよくわからないが、相手にパスをし損ねたのか、未咲の足元にボールがコロコロと転がって来た。未咲はすっと拾い上げて、ボールを取りに来た男児に「はい」と愛想よく手渡した。男児はたどたどしい感謝の言葉を早口で呟き、少し頰を赤らめると、そそくさと戻っていった。

「私のこと、鳴以外の人にも見えちゃうみたいだね」

「幽霊じゃない…みたいだね」

「うんうん。幽霊みたいに透き通れるってこともないんだよねえ。歩いてる時ばったり知り合いに会わないかヒヤヒヤしたんだよ?」

面倒なことになりかねないから、等と死んだ人間なりの主事情をさも世間話かのように話す。

「会わなくて良かったの?友達とか、お母さんには」

「うぅん、そりゃ会いたいけど。…やっぱり一番会いたかったのは鳴だったから。欲張りはできないよ」

「…よく私を見つけれたね」

未咲が自分のこめかみを指差して自信たっぷりに云う。

「そりゃ双子の直感が真っ先に働きましたぞ」

晴れた昼下りの中、サッカーに勤しむあの男の子たちと同じように、未咲にも地面にくっきりと影が写し出されている。一見、彼女は生きた人間そのものだし、とても死者だとは信じきれない。

ー彼女は本当にあの時死んでしまったのだろうか?私の記憶違いで、本当は彼女は死んでいないのではないだろうか……?

心のどこかにそんな甘い期待が過ぎった。

一息つけるため、鞄からお茶を取り出し、こくっと一口、喉に流し込む。私が飲み終えると未咲に横取りされ、半分ほど飲み干されてしまった。

「やっぱこれだね」

「未咲、お風呂上がりのオヤジみたいだよ」

「どうどう?幽霊だったら、飲食もできないでしょ」

「そうだねえ。輪っかも大きな翼も付いてないし天使ってわけでもない」

「飛ぶことも、びゅーんって走ることも出来ないんだよねー」

陽気な未咲の様子を見てると、訝しげだった私も段々落ちついて来る。

遊具から離れた場所にある木製のベンチにすとんと腰を下ろす。ベンチには葉が絡まった屋根が付いていてちょうど日除けになっている。長く整備されていないのか、屋根もベンチも傷だらけで、ところどころ凹んでいたり色が剥げていたりしていた。歪なこの休憩スペースを、未咲は大いに気に入ったようだった。

「なんかこのイス可愛いね」

「相変わらず未咲の可愛いはちょっと変わってるね」

「そうかな?」

先客はいなかったようで私と未咲、2人で陣取る。公園の様子が一望出来る特等席と云うわけだ。昼過ぎの陽射しはポカポカとして温かく、地面には木洩れ陽が差し込んでいる。

お茶に次いで、鞄から昼食用のサンドイッチを取り出す。コンビニで買い出し、帰宅したら食べる予定だったものだ。

「食べる?」

いいの?と嬉しそうな未咲の反応に頷き、三つあったサンドイッチの一つを未咲に手渡す。パンに卵とハム、レタスとオーソドックスな具が挟んである。

「ちょうど小腹が空いてたとこなんだよねー」

いただきますの挨拶の後にサンドイッチを口に運ぶ。一口ずつは小さいが咀嚼したら次々と口元へ運ぶので、みるみるとサンドイッチは小さくなっていく。

「どうかした?」

「ーいや。お腹空いてたんだなあって」

「そんなにガツガツ食べてます?」

「そういうわけじゃないよ。どう?お口にはあう?」

「うーん、うん。ー悪くない、かな」

「じゃあ後は私が食べちゃうけど」

「うそうそ。美味しい美味しい」

一切れになると手でちぎり、半分ずつ二人で食べる。喉が乾くとお茶を分け合って飲む。食べているものは普段と変わりはないのに、懐かしい味が口に広がっていた。

 

 

「さて…と。何から話せばいいかな」

軽めのお昼ご飯を二人で食べ終えた後、座り直して私から話を振る。公園には園児たちも増えて賑やかになっていた。

「ー何かさ。あった?」

「最近夏祭りでカレーに毒物入れられたっていう物騒な事件があったかな。和歌山の辺りで」

「カ、カレーに?ああ、いや、それもまあ物騒といえば気になるけど…」

少し間を置いてから遠慮しがちに未咲は口を開く。

「ほら、前言ってたでしょ。鳴のクラスは、呪われたクラスって噂があるって」

平静を装うとしたが胸がチクリとこわばり、眼帯をしていない目が一瞬泳いだ。全身に悪寒が走る。

「あれはさ、鳴…」

「……本当に、噂だったらよかったんだけどね」

苦笑を浮かべて目を地に伏せる。サッカーをしている少年たちや遊具で戯れる園児たちの無邪気な声が響いている中、脳裡におのずと凄惨たる記憶の数々が思い出された。あの災厄の影響で、どれくらいの人が平穏な日常を奪われ失ったのだろう。おびただしい血の匂い、教室でみずからの喉を切り裂いた久保寺先生の虚ろに見開かれた双眸、噴出された鮮血、クラスメイトから投げつけられる鋭い視線。止まらない<災厄>。残酷な死の連鎖で人が死んでいく。吹きすさぶ風音と燃え盛る炎の唸り。晴れ上がっている青い空が真っ赤に染め変えられていく。毎晩のように見る悪夢の光景が広がる。

「ーそっか。やっぱり」

未咲の声で現実に引き戻される。水面に映るように木洩れ陽が地面にユラユラと揺れていた。

「ーそう見える?」

「何となくだけどね。鳴の顔見てると。苦労したのかなあって」

「わかるんだ。そういうの」

「本当にお姉さんみたい」

「もうおばあちゃんになった気分かな」

大げさだなあと薄く笑った後に、未咲は殊勝な口ぶりで云う。

「あんまり話すの辛かったら、深く話さなくてもいいからさ」

いや、と小さく首を振って、そっと息をつく。

「せっかくだから、ね」

「…大丈夫?」

「話しても普通、信じてもらえないと思うくらい、いろいろあったんだけどね。でももう……もうね、全部話しておきたいんだ。聞いてくれる?」

未咲は私をまっすぐ見据え、深く頷いていた。

「聞かせて」

私はなるべく感情的にならないように語り始めることにした。

 

 

 

 

 

「ーそっか。本当に大変だったんだね」

ここ半年間に起きた事の顚末を、未咲に洗いざらい話してしまおうと思った。

呪われた3年3組のこと、3年3組の身の回りで起きる不可解な現象のこと、亡くなったクラスメイトのこと、担任の久保寺先生のこと、合宿のこと、災厄を止める方法を一緒に見つけようとした榊原恒一くんのこと、<死者>のこと…私の眼のことも何もかも。

未咲は相槌を打ちつつ反応を示したが、遮ったり割り込む事はなく、最後まで私の話に耳を傾けていた。

一通り話をし終えると「ふうぅ」と大きく息をついた。私の話を聞き終えた未咲も身体を伸ばし深く息をついた後、私の方に身体を向ける。

「…大変だったんだ」

「いろいろあり過ぎて、ね。信じられる?信じられないよね…。でも本当にあったことなの。正直いって、ここ半年、とても生きた心地がしないよ」

「そりゃ、変わってるどころじゃないわー」

苦笑を浮かべて一瞬目を伏せたが、すぐに視線を私の方に向け直す。

「鳴は偉いよ。そんな…<いないもの>なんて。そんな役目引き受けて」

「そう…かな。誰かが<いないもの>にならなきゃいけないわけだし。それがたまたま私だったから」

「たまたまじゃないでしょ。それ絶対、鳴の名字が”ミサキ”だからやらされたんだよ」

「まあ、それもあるかもね」

「おかしな話じゃない?みんなから<いないもの>にされるなんて。普通そこまでする?必ず効果があるっていう保証もないのに」

榊原くんにも似たようなことを言われた日をふと思い出した。あれは私と同類になってしまった榊原くんが、私の元へ訪れた日だったか。

「私だったら、きっと半日も経たずにおじゃんしてるよ、意味わかんなくて。あ、でもその前にその<いないもの>になって、クラスでムカつくやつぶん殴ってるかも」

「さすがにそこまではしないよ…」

「だって、鳴だけはクラスの子に<いないもの>にされ続けるのに、他のクラスメイトの子はみんな、お喋りしてていいんでしょう?そんなの、ずるくない?」

まるで学校で自分が<いないもの>に指名されたような言い振りで、不服そうな表情になる未咲に思わず口元が緩んでしまう。まあまあ、と憤りを見せる彼女を宥める。確かに未咲が<いないもの>にされたら、せめてクラスメイトに一泡吹かせてから役目を降りるのはやり兼ねない。

「本気で受け止めなきゃいけないってわかってたんだけど、私も本当は半信半疑でね。こんな<おまじない>意味があるのかなって、理不尽だなって思ったことはあるよ」

「その榊原くん…だっけ。鳴にいきなり話しかけちゃったんでしょう」

初めて榊原くんと会ったのは病院のエレベーターだった。地下2階、薄暗い廊下を独りで歩いた先の霊安室。そこで眠っている未咲に人形を渡しに持って行った日。ーまるで昨日のように鮮明に脳裏に映し出される。

「で、クラスのみんなは榊原くんに3組のこと説明してなかったわけだ。なーんか、全然段取り出来てなかったわけね」

「うん…私には話さない方がいいよって何回も言ったんだけど、それでも榊原くん私に話しかけに来ちゃって…」

ふぅん、と未咲が間を取ってからニヤリと微笑む。

「それってさ、鳴のこと気になってたからだよ、彼」

「ーまあ、ああいう形で会うと、ね。気にはなるよね。私のこと、幽霊じゃないかって思ったこともあるみたいだし」

そうじゃなくて、と首を振り、腕組みをしてこちらに視線を投げる。

「鳴に気があるってこと」

「ーえぇ?」

「え?そういう風に感じなかった?」

ああ、そういう話か…と私は緊張が一気に緩んでしまった。未咲は心底真剣だが。

「うーん…どうだろう。心身余裕がなかったからなあ」

「ふぅん。明日は我が身だからそういうもんかあ」

渋々としかつめらしく唸っている未咲を一旦置いて、話を続ける。

「私も私で話しちゃ駄目なんだけど、榊原くん根掘り葉掘り聞いてくるから」

「それで彼も<いないもの>の、同類にされちゃったんだっけ。なんか困った話だね」

そうだね、と私も同意する。ただ彼と同類になった日から、周りを気にせずに行動も出来て話せるようになったのは、私としても気が楽だった。よく屋上で一緒に昼食を取りながら、他愛もない話をした。彼の身の上の話も、ずいぶん聞いたように思う。

ーいつか東京に遊びにおいでよ。美術館巡り、しよう。僕が案内するから。

ーいつか、ね。

いつか…それは叶えられる未来なのか。漠然とした不安に駆られ、ぼんやりと、榊原くんが云った言葉を考えたこともあった。

「彼、鳴的には格好良いって思う?」

「あのねぇ…」

未咲のからかうような口調には調子が狂い、ため息が出てしまった。学校の話をする際、時々こうしてクラスメイトに気になってる人はいないかとか、聞いたり聞かせられたりした気がする。

「うーん…普通、かな」

「普通って、なにそれ」

「でも…そうだなあ。最初は困ったなあって思ったし、いろいろ大変なことがあったけど、災厄止める調べものしたり、投げ出さないで、ちゃんと考えてくれたり、私も何回も助けられたから」

「なんかそれ…戦友みたいな感じだね」

「それに近いかもね」

ふふ、とお互いに笑い合う。

手術が成功して退院も出来るはずだったのに、あんなに急に、突然未咲が死んでしまった現実が信じられなかった。気持ちの整理が付かず、鬱屈した心中になっていたと思う。そんな中、榊原くんと出会った。最初は距離を置いていたが、彼と身の上の話をしていく内に、少しずつ虚ろだった心が和らいでいったのは確かだった。

「大事な友達だね」

「そうだね。ー大事な。ね」

未咲が心なしか悲しげに目を伏せて云う。

「私はね、鳴。学校では友達は多かったとは思うけど、本当に困った時助けてくれる友達はいなかったと思う」

予想に反した未咲の吐露にたじろぐ。友人も多く、実の両親にも愛情が注がれて私とはまるで対称的だと思っていた未咲の別の一面を見た気がした。

「えっ。そう…なの?」

「入院した時、お見舞い、何度も来てくれたの鳴だけだったしね。本当に友達といえる子って、鳴だけだったかも」

冷たく暗い病室で独り、命を散らした彼女の亡骸がいやおうなしに脳裏に浮かび上がる。他人と繋がっているように見えても、本当は独りきり…そう気付いたのはこの頃だっただろうか。

 

 

「ごめんね。未咲」

「え…?…何が?」

「私だけ…さ」

左目の眼帯を掌で強く押さえ当てつける。

もしも私が3年3組ではなければ。もしも3年3組であっても呪いなんて”ない年”であれば。もしも初めから呪いなんてなければ。

もしこうであったら、無駄だとわかっていながらずっとずっと私は反芻し続けていた。

どうして未咲が死ななければならなかったのか、どうして私だけ生き残ってしまったのか。

遊園地に遊びに行く前日、添い寝して眠っている未咲に<死の色合い>が滲んで見えた。だが見えたのはその時だけで、入院している時一度も感じることはなく胸をなでおろしていた。それなのに、突然容態が急変して…。

あの時見えた<死の色>は真実を物語っていた。結果として未咲を救うことは出来なかった。

「…もしかして自分のせいだって思ってる?私が死んだこと」

「未咲、私は…」

「そんなわけないじゃない」

私に訴えるような強い眼差しが眼中にあった。

「もし私が鳴と同じ立場だったら、とても現実が受け入れられないと思う。そんな、わけのわからない呪いなんかが原因で人が死んでしまうだなんて。…その目の事だって。目も隠してたのは、本当は<死の色>が見えちゃうからだったなんて」

「ーうん。未咲には…未咲だけには見えてほしくなかった……」

「もし私が逆の立場でもそれは同じ。鳴にだけは<死の色>は見えて欲しくないと思うし、もし見えちゃったらどうしようって思うよ」

彼女は口元を綻ばせた。自分の胸に長く巣食っていた闇に一筋の光が照らされるようだった。

「私は鳴を恨んでなんかないよ。ー恨んでるわけないじゃない」

未咲の手が私の蒼白い手に重なる。彼女の手に触れて、心に纏わり付いていたわだかまりが少しずつ綻んでいくのを感じた。

 

 

「ねえ。今年も、海の別荘には行った?」

「行ったよ。そこで自転車の練習も兼ねてね」

「あ、鳴、自転車苦手だったか。どう?乗れるようになった?」

「一回転けちゃったけど。帰る前には乗れるまでに大躍進」

「おぉ、良かったじゃん。想くんだっけ、元気だった?」

「あの子も、難しい年頃みたいだったな」

「へえぇ?」

その後もしばらく、未咲と他愛のない話が続いた。色褪せた風景が鮮やかに彩られていくように気分は穏やかだった。

 

 

 

 

 

随分と長い時間、話をしたような気がする。話し始めた頃は薄い青色で晴れ上がっていた空も夕暮れが近づいて来ているようだった。遊んでいた子供も減っていき、サッカーをしていた少年たちの元へは母親と思われる女性が迎えにやって来る。一人、また一人と減っていき、私と未咲の二人っきりになった。賑やかだった公園も閉園間際の遊園地のように、ひっそりと静まり返る。

「もうこんな時間かあ。時間経つのって早いなー」

まるでまた今度遊ぶ予定を立てて、会えるかのような普段通りの口調で呟く。ベンチから立ち上がると、先ほどまで子供たちに揺らされてた二台のブランコに歩み寄る。座ると軽く音が鳴り、ユラユラと揺れる。吊り具のチェーンが古く錆びていた。

「未咲、ブランコ好きだよね」

「ブランコなんてみんな好きでしょ」

地面を蹴って、軽く漕ぎ始める。幼い頃、未咲に無理やり二人乗りを強要され、バランスを崩して二人一緒に派手に転倒した苦い思い出を浮かべる。雨上がりの地面は濡れていて、服は泥だらけになって、そんなお互いの姿がおかしくて笑ってしまったのだが。

「私は二人乗りは嫌いだなー」

「いやー、あれは無茶やって悪かったと思ってるよ。ごめんごめん」

「ま、笑い話として語り告げるかもね」

振子時計のように揺れていたブランコをゆっくり止めると、未咲はぽつりと云う。

「…そろそろ帰らなくちゃね。ーお母さんと天根のおばあちゃん心配するよね」

夕陽に照らされた未咲は、淡い赤色に染められて透き通っていた。

改めて私は、今ここにいる未咲は、やはりこの世の者ではないことを悟った。まるで、風になびかれて今にも消えてしまいそうで…。

ー未咲と最後に話したのはいつだっただろう。彼女とはもう何年も会っていなかった気がする。

”半身”がそこにいるかのような安心感なんて、もう何年も忘れていたような気がする。ただ未咲と話をすることが、冗談を交えて笑うことが、寄り添うことが、触れ合うことが、こんなに心地が良いとどうして忘れていたんだろう。まるで世界から切り離されたような自由なひとときを、私はようやく取り戻せた気がしてならなかった。

それももう終わる。

「ねえ未咲。また二人で、こっそりどこかで、会えないかな?」

「えっ」

私の思い切った言葉に意表を突かれたようで、しばらく私の瞳を見つめたまま何も言わない。何かを考えてから云いにくそうに、訥々と未咲は云う。

「私はやっぱり、死んだ存在だから…。鳴の云う、その、クラスの<死者>とは多分違うけど。でも前に鳴も云ったでしょう。人形は身体も心も虚ろで、”死”に通じる虚ろだって。内側から何か吸い取られていくみたいに感じるって」

「それは…つまり、今の未咲の存在も虚ろだっていうこと?」

「きっとね、私と一緒にいると、その3組の呪いみたいに”死”に近付いちゃうんじゃないかって。鳴ならなんとなくわかると思うの。だからね、もう会うのも本当は…」

「そう…。やっぱり。ーそうだよね」

にわかに信じられなかった3年3組の<現象>による阿鼻叫喚の現実を経験した身だと、未咲が話す前から身に染みて察していた。<死者>が否応無しに引き起こしてしまう死の連鎖も、それを止めるには<死者>が死に還るしかないということも。永遠なんて存在しないことも。

「私は……鳴だけには死んでほしくない。だから…だからね…」

「わかってる。ーわかってるよ」

ブランコの鎖を強く握りしめる。

「勝手なこと言ってごめんね」

「…どうして鳴が謝るの?」

うなだれた私に諭してくれるように云う。その声色はいつになく穏やかだった。

「でも、ありがとう」

 

 

 

 

 

「私、もう行くね」

ブランコから未咲は立ち上がり、錆がついた手を払うと、ゆっくりとした足取りで去って行く。

「またそんな顔して。ほら、可愛い顔が台無しだぞ」

暗い顔をした私を見兼ねたのか、未咲の両手が私の頰を撫でる。

「それ、遠回しに自分のこと云ってるでしょ」

「そうそう、その意気」

未咲の口元に私の人差し指を触れさせる。いつか交わした会話を思い出した。

「でも急に出て来て急にいなくなるなんて。ひどくない」

「ーごめん」

「どうせ出てくるんだったらお盆とか誕生日とか、わかりやすい日にしてよ」

「それはなかなか難物ですぞ」

笑い合うと、未咲は両腕で私を包んで抱きしめた。彼女のあたたかい息が私の耳に当たってくすぐったかった。微かに震えている彼女の身体を抱き締め返す。未咲の両手は確かに冷たかったけれど、こんなにあたたかい感触をしている未咲が生きた人間ではないということが、頭ではわかっていても私にはどうしても納得がいかなかった。

「いつか私がフラッと出て来ちゃったら、積もる話聞かせてね」

「いいよ。一杯聞かせてあげる」

「榊原くんによろしくね」

「余計なお世話」

「いつか鳴が大人になったら、大人の話聞かせてね」

「それまで生きてるかなあ」

「鳴なら大丈夫だよ。こんな修羅場乗り越えちゃったんだもん。何があっても、ね」

「そうだね。もう、ちょっとやそっとじゃ驚かないから」

「でしょ」

「大人の話聞かせてあげる」

きっと大人になった私が再び未咲と出会ったとしたら、未咲はこの姿のまま…永遠に14歳のままなのだろう。僅かだが、私の背丈が彼女よりも高くなっていた。

「言うのすっかり忘れちゃってたね。15歳の誕生日おめでとう。鳴」

私がリクエストしたのは「元気な未咲」だったか…。あの時は入院した未咲を景気をつけたくて咄嗟に思い付いたリクエストだったと思う。未咲のことだから、約束を果たせないと思っていてひどく心残りだったのだろう。

「誕生日プレゼント、渡せなくてごめんね」

「もういいんだよ。未咲」

未咲は私から身体を離すし、しばらく私の顔を見詰めるとじゃあね、と告げて歩き出した。夕焼けの光が差し込み、生暖かい風が吹き始めていた。風に揺れる未咲の髪が光った。次の瞬間に風が強く吹き起こり、木々や花々をざわめく。風になびいた髪に視界が遮られ眼前が見えなくなった。

その風が止んだ時、目の前にはもう未咲の姿はなかった。

「未咲!」

周囲を見回すと誰の気配もなく、まるで初めから、私独りしかいなかったかのような静けさだけが残された。公園の外に走り出て彼女の姿をしばらく探したが、跡形もなく消えてしまった。

それが<死者>として現れた藤岡未咲との別れだった。

 

 

 

 

 

「おはよう、見崎。今日は早いね」

「おはよう榊原くん」

あれは夢か現実か、はたまたその虚ろだったのか……私だけが体験した奇妙ともいえる日から一日経った。とても信じ難い出来事に遭遇したのに、悪夢にうなされることもなく、不思議と私は平常心を保てていた。

学生服姿の榊原くんが私に挨拶する。普段通り、何変わらぬ学校風景だ。朝から神妙な顔つきをしている榊原くんが、私を見て話しかけてきた。

「ねえ、見崎って、昨日、学校終わった後病院の近く歩いてた?」

彼の質問に首を傾げる。

「いや…病院に薬貰いに行った帰りにね、見崎とよく似た子が歩いてるの見かけたから」

「へぇ。私に似てる?」

「うん。でも眼帯はしてなかった気がする。雰囲気もちょっと違ってたんだけどね」

「……」

ーそれはきっと、昨日私の目の前に現れた未咲のことだろう。彼もまた昨日の僅かな時間だけ、”生身の死者”として生きていた未咲に偶然にも遭遇したのだ。しかし彼のそういった、何かしらの現象に巻き込まれやすい体質というのか素質というのか、それにはほどほど感心もさせられる。そもそも3年生になって転校した先が、よりによって、呪われた3組だった時点で相当な運の持ち主だ。昨日は散々、随分勝手ないい様で彼について話してしまった気がするので、ごめんと心の中でこっそりと詫びる。

教室の窓を少し開ける。残暑も去り気温も低くなってきたが、窓から吹き込んできた風はなぜかしら、思いのほか温かい。

ー榊原くんは信じるだろうか?聞かせたら、きっと彼なら信じるだろう。

でも今は自分の胸の中にだけ、しまっておきたい気がする。

「さぁね。昨日は学校から帰ったら家にいたから」

「そっか。やっぱり別人かな。でもよく似てたんだ」

私は白々しい嘘を述べた。天根のおばあちゃんに話を振ったら一発で私のアリバイはなく嘘だとわかるだろう。詮索好きな探偵素質のある彼なら聞きかねないかもしれないが、今回に至っては行動に移さない事を祈ろう。

世の中は自分と似た人間が何人かいるらしいから、と自ら言い聞かせるように呟いてる彼に、ある考えが思い付く。

「私がそのそっくりさんと、一緒じゃなくてよかったんじゃない」

「え?どういうこと?」

「ドッペルゲンガーって、知ってる」

榊原くんの顔が強張る。実にわかりやすい反応を示した。

「ええと…それは自分そっくりの人を見ると不吉なことが起きるっていう…」

そう、とわざと声を低くして、追い討ちを掛けるように続ける。

「榊原くんなら、わかるよね…」

目を細めておもむろに話す。ホラー小説や映画に精通してる彼なら、きっと私よりもその筋には詳しいだろう。

「信じる?」

「いやあ、この夜見山市なら、もう何が起こっても不思議じゃないというか…」

私がでっち上げた話に慌てふため出した榊原くんを見てると、少し笑ってしまう。

「見崎、もしかしてからかってる?」

「ーどうかな」

風がまた吹き込んできて髪が揺れる。思いのほか、やはり温かく感じられた。

 

 

 

今年の3年3組の<死者>ー三神先生は榊原くんの叔母にあたる人だった。お墓詣りに訪れた時、先生の母ー榊原くんの祖母に会ったことがある。その方と会話をした時、三神先生は本当は榊原くんのことを自分の子供のように思ったこともあると云っていた。彼の家に訪ねた時、榊原くんの話し振りから二人の仲の良さが伺えたのを、よく覚えている。

……

……

どうして三神先生が”生身の死者”として四ヶ月と少しのあいだ、生き続けたか。この街で、榊原くんの家で生活を続けていたのか。生きている人間に何か伝えようとしたのは間違いないと今ならはっきりと思える。

いつかもう一度…未咲と出会えたなら、もう一度会える確証なんてどこにもないけれど、その時は彼女の期待を裏切らないように積もる話を用意しなければならない。私の姿に未咲が見兼ねてしまわないように。

大人になった私が今まで見てきたもの兼ねて、私はまるで姉のように語り出すと思う。

どれだけもう一度あなたに逢いたいと願ったか。

どれだけあなたと共に歳を取って生きていきたいと思っていたか。

きっと止め処もなく話してしまうと思う。